春、花ごよみ(65枚)

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杏 土呂夢 作
「憂き城物語」(237枚)
初版第1刷
アマゾンで発売中
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春、花ごよみ(65枚)

  杏 土呂夢(あん どろむ)

「ご隠居さんがお呼びですよ」お手伝のチアキさんが言っている。
「はいはい」とわたしは答える。『どうせいつもの朝のお勤めだろう』と、わたしは思う。
「きょうは、午後には、お嬢さんもお見えでして・・」
『お嬢さん』と聞くと、わたしは、一瞬、気が苛立って来るのを覚える。『お嬢さんが来ようが来まいが…』『しかし、まあ…悪いのは、こちら、苛立つおれの方か…』とも思われる。
わたしは、隠居の屋敷の北西の隅に建っているプレハブ小屋から出て、広い庭を渡り、母家の玄関から入る。桧張りの幅広の廊下を渡り、角を二つ回り、一階の座敷に通る。
隠居は、すでに、いつものように、凝った床柱を背に、ひとり碁盤に向かっている。打ちたくて打ちたくて、もう今から、うずうずしているに違いない。
「おはよう、ジロさん」わたしの名前は二郎である。隠居は、一度も、わたしを正式に、ジローさん、と呼んだためしがない。
隠居は言っている。「ミレーの〈落穂拾い〉は有名のようじゃが〈種まく人〉というものもあったように思われるが…所詮、男は〈種まく人〉じゃね。…最近、つくづく、そう思う」何を言っているのか、さっぱり、こちらには分らない。夢遊病者みたいなもんだ。すでに、朝酒が過ぎているのかも知れない、とわたしには思われる。隠居は、更に続けて、言っている。「美しい女が居ると、とにかく、何をおいても、種を付けたがる。これが男の本分じゃね…最近、つくづく、そう思う。男の一生などと言えば、終わってみれば、大方そんなものじゃよ…高尚とは云えんがなあ、まったく。…それと言うのも、思想の種を蒔いたり、信仰の種を蒔くお方と比ぶれば…な」
隠居が、碁の前に、ひとくさり何か変梃りんなことを口にするのは、それなりの理由があるみたいで、つまり、わたしの心に気になる種のようなものを前もって蒔いておいて、後の碁の戦を有利に導こう、という無意識にしろ、人の気を碁からそらす魂胆みたいなものがあるように、わたしには勘ぐられる。
この間なども、以前、国産のウォッカを半年ほど朝昼晩と飲み続けていると、尿道炎になってきた事がある、と云い出した。そして、なおも我慢してそれを飲み続けていると、ついには膀胱炎にまで発展して来た。
尿道炎の経験はあるか、とわたしに訊いてくるものだから、ない、と答えると、それはよい、と云っている。
「ま、尿道炎、などと言えば、これはもう、九分九厘、世間では、性病ですな、性病。したがって、ひと前では、尿道炎などとは、云わぬが勝ち、です」
『逃げるが、勝ち』と言う言葉は聞いたことがあるが、『言はぬが…』はあまり…
こんなことを心のどこかに引っ掛けておくと、ヘボ碁同士とはいえ、勝ちづらいものである。『尿道炎』のときは、黒番で、確か存分に好みの大模様を張れたのだけれど、最後には、模様を破られ、劫まで仕掛けられ、粘りに粘られ、結局、わたしの半目負け、となったように記憶している。
 チアキさんから以前聞いた話だが、官吏を退職するまでは、隠居は、随分遊んでいたらしい。朝からゴルフの接待で、夜は料亭、クラブでの接待…妻を亡くするころには、接待漬けの、そんな毎日が続いていたらしい。しかし、退職後は、今までの反動みたいに、急に、ぴたっと、枯れてしまって、碁を打ったり、庭の池の鯉や花々を眺めて暮らすようになってしまった。酒も、外では一切飲まず、独りで朝から家でやっている。簡単に、おもに、水割りで、ハバナ・クラブやバカルディのラムとか、ウォッカのストリチナヤとか、ジンのボンベイ・サファイアとか、これらが最近のお気に入りみたいだ。

互先(たがいせん)、五目半コミ、の碁が終わった頃には、もう隠居の早い昼食の時間になっている。隠居は、十一時半から民放のニュースを見るのがウィークデイの慣わしである。十五分後には別の民放のニュースに切り替え、またやがてすぐに、正午のNHKニュースに切り換える。昼食はその前に終わり、酒も終わり、極めて長い歯磨きの時間も、ニュースが始まる十一時半までには、すっかり、終わっておかねばならない。部分義歯のブラッシング、歯間ブラシ、歯磨きペーストを付けての、歯のブラッシング、二回目の義歯ブラッシング、二回目の歯間ブラシ、糸楊子、歯磨きのペーストを取るための、執拗な数回のゆすぎ、…これらが毎食後ただちに行われる隠居の日々の大切な行事みたいなものである。この後がテレビ・ニュースにつながるのだから、昼食は十時半くらいに始めていなければ、勘定が間に合わなくなる寸法である。
 「ちょっと、早いが、ジロさん…昼飯と行きますか」
 庭が一望できる特別幅広の縁側に、すでにチアキさんによって、ざるそばが用意されている。酒は朝からやっている水割りの続きのままである。ただ、隠居の場合は後ほど濃ゆくなり、飯頃には、最後の駄目押しみたいになっていて、ほとんどストレートに近くなっている、そんな場合が多い。
「ジロさん、もう三月も二十日過ぎのことじゃし、ぼつぼつ睡蓮の植え替えの時期じゃね…」
「そうです…彼岸も過ぎて絶好機です…」
「…何鉢(なんぱち)くらいに…、今年は?」
「株分けすれば、倍の、二十鉢(にじっぱち)くらい行けますが…ですが、やはり…」
「そうじゃな、二十鉢…ふうう」
「サツキの鉢数が馬鹿に殖えておりますから…おそらく、つごう、二百鉢(にひゃっぱち)程にも、針金巻きの苗木類も加えて…」
「そうじゃな…万端、ジロさんに、お任せとしときますか。…木瓜(ボケ)がちらほら蕾じゃね…枝もいい具合に出来ている」
「去年、全部、植え替え、もちろん剪定もやりました」
「やはり、花は、手入れじゃのう…ありがと、ありがと」
隠居はこの後、テレビ、昼寝。わたしも、真夜中にバイトのアフィリのプログラムいじりをやるものだから、昼寝は欠かすわけにはいかない。
酔いと眠気で、いい気分で小屋に帰ると、「よう居たか」と寺高(てらたか)が言っている。『居たかも糞も、ここはおれの部屋じゃないか』と思うけれど、わたしは口には出さない。内心、むううっ、とするだけである。
「なに、いい口が一つあったから、云いに来た」無職のわたしの就職口の紹介のために来てくれたと云っているのだ。
寺高は大学時代の友達で、二郎より年は二つ三つ上だったに違いない。昔の国立一期校の医学部に一、二年籍を置いていたのだが、そこをわざわざやめて、二郎と同じ大学の哲学科に入って来ていた。理由は一切聞いていない。わたしも、もともとは、入試の理科を物理と化学で受けて法学部に入って来たような変種なのだが、すぐに法学部がいやになり、しかも理系への転部はできないらしく、結局、哲学科に鞍替えした。二人とも、一度も転校、転部のことは話題にしたことはなかったが、少しは互いに気が合うところがあったのかも知れない。会えば酒を飲んで、わたしは寺高の馬鹿話を聞く以外、あまり真剣な話をしたことは、一度もない。
寺高の生活に対するたくましさは、わたしとは対蹠的で、学部の頃から、美しくて可愛い、かなり年下の娘と結婚していた。生活費はすべて寺高のバイトで稼ぎ出しているみたいで、若妻は昼間から、ゆかた姿で昼温泉といった具合である。大学院の頃になると(わたしは学部どまりだが)、彼は、今度は、数学に凝り始め、聴講を受けたりして、結局、今は、四、五人の仲間と出資し合って、数学書専門の出版社をやっている。フィールズ賞をとったような有名な学者とも出版がらみで面識があり、珍しいエピソードなどを、たまに聞かされる時もある。
わたしへの仕事と云うのは、何か広告会社勤務みたいで、「東証一部上場の、ま、そう悪くない会社だわ」寺高は言っている。O市まで行って、喫茶店で、課長と落ち合う…これが就職試験みたいなものらしい。「広告に対する理念的なものを聞かれるかもしれないが、なに、煙(けむ)に巻いて、なにか深層心理で、フロイト的なものくらい、適当にしゃべっておけるようにでもして置ければいいんじゃないか…適当に…」
寺高は、にこにこ微笑んでいる。缶ビールとペットボトル入りの安物の焼酎を二、三リットル持参して来て、ご機嫌である。わたしはすでに隠居のラム酒でいい気分になっているので、そしてまた、午後には睡蓮の植え替え作業が控えているので、焼酎のビール割りは遠慮した。寺高は焼酎をビールで割って飲むのが昔から好きなのだが、口ぐせの「今日は急いでいるから」を発すると、今度、徹底的に飲みまくろう、と言い残して帰って行った。

三月下旬といっても水は冷たい。いちど睡蓮の植え替えをさぼった年があったが、ゲンギンなもので、やはり翌年の花は悪かった。花は小さく、花数は極度に少なかった。不満と後悔の念は、それから、丸一年間続いた。
作業となると、ゴム手袋をはいて、ベタをいじくり回さなければならない。
まずホースでもって、サイフォンの原理で、睡蓮の外鉢の水を抜き、中から素焼の鉢を取り出す。芽のところを傷めないように芋だけを鉢から取り出し、古い去年の、葉、茎、ベタはすべて捨ててしまう。芋も大きくなり過ぎた不要な部分は挟みで切って捨ててしまう。水を吹き付け、徹底的に清める。
次は新しい今年のベタ作りである。新しい赤玉に水を加え、バケツの中で少し硬目のベタになるまで捏ねまくる。これは、なかなか手間が掛かる。
素焼の鉢の底に、新しい今年のベタを薄く敷き、そこに油粕に貝殻の粉末なんかの混ざった中型の固形肥料を七個、円形に等間隔に埋め込む。その上に、また少しベタを敷き、芋の芽のところが、ほぼ、鉢の中央にくる様に、芋を埋め込む。鉢の周囲の土手するするまでベタで埋める。芽のところは埋め込んではいけない。これでやっと、一丁あがり、なのである。これを、ここ二、三年、十鉢である。熱帯系(と、最初、隠居は言っていたが、実は、何のことはない、耐寒性である)の赤とか、他に、黄色、白、ピンク、姫スイレンの薄桃色もある。晴れの日でもまだ寒い、三月のこの水いじりの作業は、幾分、馬鹿にでもならなければ、やっていられない。
サツキの剪定の時に使う自分で作った板張りの、低い、もたれ無しの白ペンキ塗りの簡単な椅子に座って、われを忘れ、夢中になって、一連のこの睡蓮の植え替え作業をカーポートの片隅でやっていると、クルマが急に一台、わざとみたいに、すぐ脇まで、頭から突っ込んできた。ぶったまげて、顔を上げて、見てみると、ダークグリーンロードスターである。お嬢さんのマニュアルのドイツ車だ。きっと、高速道路を四、五時間も、ぶっ続けて突っ走って来たのだろう。それに、なんと今日は、着物姿で乗って来ている。あきれたもんだ、とわたしには思える。
「こんにちは、二郎さん」お嬢さんは言っている。「今年も、はや、睡蓮、植え替えの時期なのねえ」
「はいはい」わたしは、緊張気味に答える。
相変わらず、お嬢さんには、惚れ惚れする。やはり、飛び切りの美女なのだろう。
お嬢さんは、旦那がニューヨークへ出張したので、しばらくこちらに滞在するとのことである。
「久し振りに、夜、星でも見に行こうか」お嬢さんは、妖しく微笑みながら云っている。
「はいはい」とわたしは答える。
お嬢さんは、口径80ミリ、2キロ超の大型双眼鏡を持っている。結構重く観望には、勿論、架台も必要なので、わたしに運ばせる都合から、常に、プレハブ小屋の隅に、アルミケースに入れて保管されている。お嬢さんは、ハッブル宇宙望遠鏡の撮ったネビュラの色彩を見るのが好きなのだ。「わたしには、非常に強烈な抽象画みたいなものよ、ネビュラの色と形は、ね」しかし、眼視では、あまり色彩は望めない。それでも実際に眺めていると、それなりの得がたい感動はあるものだ。
お嬢さんはまた、口径12インチのシュミット・カセグレンも持っている。これは光軸調整が微妙で、設定に手間取ることもある。
お嬢さんは、歩き去りながら、星の後で、また、ラブホ遊びに行こうよね、などと云っている。わたしにとっては、いま少し口にするのが躊躇われる微妙な事柄でも、お嬢さんは、いつも冗談みたいに、微笑みながら、平気で云ってしまう。こんな時、わたしは、度肝を抜かれてしまう。
お嬢さんと初めてラブホへ行ったのは、まだ転部以前の、法学部の二回生の時だっただろうから、もう四、五年、それとも、六、七年も前のこととなるのだろうか。始まりは、お嬢さんが誘惑したのか、お嬢さんの魅力に我慢できなくなって、わたしが気違いみたいに強引に手を出してしまったのか…それは、分からない。おそらくは、その両方だったに違いない。真夜中の星空散歩のときだったことだけは、ほぼ確かだろう。
お嬢さんは、わたしより二つ三つ年上で、当時、すでに、結婚していた。わたしには収入の余裕というものが今も昔もないので、結局、誘うということは一切できなくて、いつも誘われるのを、じっと待つだけの、忍の日々である。
それだけに会うと別れづらくなり、ついラブホで二、三日、長引くことも、間々、ある。そんな折には「下手なテッポも数撃ちゃ当たる」などと、お嬢さんは冗談を飛ばして、麗しく、微笑んでいる。なんとも魅惑的で、こちらはどうにも堪らない。
隠居やチアキさんも、二人の関係のことは知っているはずなのだが、全然、知らぬ振りをしている。お嬢さんも人前では一切何もないことにしている。勿論、わたしだとて、同じである。
チアキさんの云うには、隠居はもともと一人娘の春珂(はるか)(これがお嬢さんの名前なのだが)春珂の結婚には反対だったらしい。春珂の方が男に惚れ込んで、家を出て行ってしまったようである。相手は有能な、社内でも将来を大いに嘱望されている苦み走った、ハンサムな新聞記者だったらしい。しかし、この男と隠居とは全然馬が合わず、行き来も一切していない。今でも隠居は、理不尽にも、春珂の離婚を望んでいるかのような節がある、とチアキさんは言っている。
お嬢さんにも変わったところがあるにはあって、高校の頃などは美しい乳房を目立たないようにするため、わざわざ、胸に晒しを巻いたりしていた、らしい。ブラジャーなどすれば、ますます目立つからである。また、大学の頃には、N女子大開校以来の美女、ともっぱら教授連の評判だったみたいだ。大学の社会学部を卒業すると、A新聞社の社会部の記者になり、仕事には、随分、熱心だった。しかし、旦那が、何かとヤキモチ焼いて、結婚してすぐに、無理矢理、記者を止めさせられてしまった。それでも、今も、新聞や週刊誌に、軽い映画評論とか、美術関係の記事などは書いている、とチアキさんは言っている。

「三月中に、行っとけよ」と寺高に急かされていたので、仕方なく、就職試験を受けにO市まで行くことにした。何年振りかに乗る満員電車は我慢ならなかった。騒音が、脳にこたえた。こんなものに毎日乗るとは、この世の地獄だ、と思われた。
春の花々を眺めながら、錦鯉の動きを楽しみながら、朝から隠居のラム、あるいは、ウォッカ、あるいは、ジンを頂きながら、ヘボ碁に耽る。これこそが、永久(とわ)に望まれるおれの時間だ、と、つくづく、わたしには思われた。
寺高に指定された喫茶店に行くと、課長に出会えた。渡された名刺を見ると、チーフとなっている。チーフなどと言われれば、わたしの誤った記憶かもしれないが、わたしの貧弱な辞書には、酋長、という意味しか載っていない。内心、わたしは笑けた。
チーフはわたしに、四月から来られるか、と訊くので、わたしは、給料は半分でいいから、毎日を、半日勤めにしてほしい、と条件をつけてみた。満員電車を避けるためのつもりだった。するとチーフは、他の者の手前というものがあるから、と云って、即、わたしを断わった。
もともと満員電車は嫌いだったし、やはり、長い間の常日頃の生活で、すでに、ボケみたいなものが生じて来ているのかもしれない。
寺高が、約束の、とことん飲み、にやって来た夜、そのことを云ってみると、開口一番、「ほんと、腑抜けか」と云って叱られた。寺高はなおも続けて云っている。話はもうついていたのだ。…傷物に、あんないい口は滅多に出てこないんだぞ。…一生、隠居の下男にでもなり下がるつもりなのか、信じられん。
『傷物』というのは、大学を卒業して以来、随分時間が経っているのに、いまだに職がない、という、このわたしの目下の状態のことを指しているのだろう。
しかし、この後は、何やかやで、二人とも、結局、飲もうか、飲もう、で、いつもの寺高の馬鹿話を肴に、寺高持参の、これまたいつものボロ焼酎のビール割りで、明け方まで飲みまくった。焼酎のビール割りは、口当たりは、悪くないのだが、飲み慣れないせいか、ある時点までくると意識朦朧となってしまった。その後は、何がどうなったのか、てんで、記憶に残っていない。それでも、飲むのだけは、最後まで、飲んだのだろう。醸造酒と蒸留酒のチャンポンのせいで、分解酵素でもが戸惑っていたのかもしれない。焼酎だけでもペットボトル二本、三、四リットル、飲んだ勘定になるのではなかろうか。
酔って、翌朝、寝飛ばし、チアキさんに起こされた。寺高はすでにいない。ドアをほんの少し開き、中を覗き込んでいただけのチアキさんは、盛んに、臭い臭い、を連発して、小屋から去って行ってしまった。
着替えをしていると、どうも、トランクスの股のあたりが湿っぽい。寝小便でもしたみたいな感じだ。しかし、それにしては、あまりに水分の量が少な過ぎると不思議に思っていると、布団のすぐ横のあたりの小屋のベニヤ板の壁が、下開きの放物線状に、何か、やかんの水でも引っ掛けたみたいに濡れている。無意識のうちに、横寝したままで、小便を垂れ掛けたのかも知れない。随分、これには、ぶったまげた。が、それだけでは済まなかった。なんと、向かいの壁にもそっくりの放物線状の模様である。寺高がやったに違いない。横寝したままで、無意識のうちに、小便を垂れ掛けるなどという行動は、一人の人間の現象としても、通常、珍しいはずなのに、なんと、二人揃ってやっているのだ。寺高に、即、このことを伝えてみると、二人揃ってか、と云って、盛んに笑っている。「シンメットリーだわ、シンメットリー。馬鹿のダブル、ダブル馬鹿か。…ビール、焼酎、チャンポンのせいで、寝小便誘発因子でもが発生したんじゃないか、誘発因子でもが」
初めてなので、後始末の仕方が分からなかったので、チアキさんにこのことを報告してみると、わたしが片付ける、と云っている。捨てておいても、乾くでしょう。自然乾燥で、十分、と断ってみたが、チアキさんは納得しない。
わたしは、仕方なく、シャワーを浴び、隠居の座敷に顔を出すこととした。
碁は朝のお勤めみたいなものである。もう随分以前から、間代は只になっている。払ったのは、大学へ入って下宿生活を始めた最初の二、三ヶ月くらいのものだろう。
隠居は、いつもの三種のボトルをすすめてきた。わたしは昨夜の焼酎の酔い覚ましに、ボンベイ・サファイアのスパイスの効き目を選んだ。二日酔いには、「毒をもって毒を制する」で、少量のスピリッツをやるのが、わたしの経験では、一番みたいに思われていたからだ。碁は、目下の脳みその状況に鑑み、向かい小目で、極力小堅く打つつもりだったが、結局は、随分早く投了となってしまった。中押し勝ちをせしめた隠居は、すこぶる、ご満悦の体だった。そして調子に乗って、一席ぶち始めた。
「本邦の、近年の医者というものは、やけに手術が好きじゃね」隠居は言っている。…もう二十年も前の話になろうか。朝起きると、小便がつまって、一滴も出て来ない。膀胱は、ぱんぱんに張っている。深酒やった翌朝のことじゃからのう。…わしゃ、仕方なく医者へ、ということになったが、生憎と、土曜日じゃ。結局、好みに合わない病院じゃったが、要するに緊急を要する、行ってみた。検査結果では、マーカーの値が異常に悪く、即、入院、手術、と云った診断じゃね。手術というのは、なにか尿道から棒などを突っ込んで肥大した梨形の前立腺を内側からえぐり削るらしい。聞いただけでも気持ち悪いから、わしゃ、その病院はやめにした。それでも、処方された薬を飲むと、排尿はもと通り快調だ。しかし、ガンのなんのと脅かされたので、ややあって信頼できる別の病院へ行ってみることにした。今度の医者は、細胞を調べてみると言い出した。肛門に突っ込まれた鉄砲みたいなものから、腸壁を貫いて、前立腺目掛けて打ち込み、前立腺の細胞を数個取ってくる、と云っている。随分と器用なことをするもんじゃね。そしてその後、それらの細胞を、顕微鏡で分析する。結果は、どうだったかと言えば、ガン細胞は無いみたいだが、ガン細胞になる胚みたいなものがある、と言う。何のことだか、はっきりはしないが、何か後味が悪い。手術して、できるだけ早く取っておいた方がよいだろう、と医者は言っている。訊いてみると、手術というのは、やはり、尿道から棒みたいなものを突っ込んで、前立腺を中からえぐり削る奴みたいだ。『手術はちょっとなあ…』と内心、わしゃ思ったもんじゃよ。そこで、手術なしの療法は無いのか訊いてみると、その医者は、ホルモン療法というものがあると言う。これこれ、とわしゃその時思ったよ。それをやってほしい、と言うと、その医者は、ここではその療法はやっていないと言う。そこで、またまた、わしゃ病院を替えることとなってしまったのじゃ。やがて、ホルモン療法を手掛けるという医者のいる病院を探し当て、行って会ってみると、今度は、医者当人が、その効果は疑わしいと云い始めた。たとえその療法でよくなったとしても、安心できるのは、ほんの二、三年のことらしい。二、三年も経てば、おそらく、元の木阿弥、多分、再発することだろう、とのことである。これでは、全然、要領を得ない。そして、この医者も、結局は、手術だ、と云っている。それにしても、最初から、またマーカーの検査からやるらしい。わしゃ、非常に、うんざりしたね。前の病院での、鉄砲のことも話し、その結果も詳しく言ったつもりなのだが、まったく認められない。鉄砲は、もうこりごりなのだ。鉄砲は、撃たれた、そのあたりが滅茶苦茶になり、痛みも残り、精液に血が混ざったりもするのじゃ。当時のパートナーが、心配して、後でいってくれたがのう。仕方なく、その医者に、三ヶ月間待ってくれるよう頼んでみた。そして、もう一度マーカーから検査を始めて、手術も行う、に同意した。わしゃ、仕方なかったんじゃ。もう、ぎりぎりじゃからね。今度こそ、追い込まれたし、決着も付けたかった。そこで、三月間、わしゃ、手術を逃れるために、必死じゃ。酒を断ち、パートナーのからだにも触れず摂生に励み、そんな毎日が続いたもんじゃ。やっと三月経つと、マーカーの検査から、またぞろ、初めから検査のやり直しじゃ。ところが、不思議なことに、マーカーの検査結果はなんと異常なし、と来ている。手術不要、即、無罪放免と相成ったのじゃ。嬉しかった。…「手術して、どこかに穴でも開けられてみろ、一生ちょろ漏れじゃからのう」隠居は云っている。「それにしても、どの医者も切るのが好きじゃね。じゃが、わしの場合、肥大は、酒のせいだったんじゃろうのう。医者も、ひとの酒のことまでは、よう診んわい」
直径三センチ程の胆石も、超音波検査をした医者には、胆嚢ガンになるから直ちに切れ、と言われたらしい。ところが、その超音波検査を依頼した内科の女医さんは、切らんでよい、と云ってくれたらしい。隠居は云っている。「やっぱり、女医さんじゃね、女医さんが、最高じゃよ」
なぜ、女医さんが、最高なのか、にわかには理解できない。それにしても、その後、二、三十年の間というもの、胆嚢も前立腺も、酒を飲んでいる割には、何事も無く、無事に来ているらしい、と隠居は云っている。「アフリカの野生のライオン。これがわしの理想じゃ。生きるだけ生きて、しかる後は、ただ黙って死んでいく。医者には、診せたくない。死んでも医者へは、もう行きたくない。その時はその時で、一切を諦める。後は、もはや、信仰の問題じゃね。祈りじゃよ、祈り。一切を、女神にお任せする、これに限るて…したがって、医者へは行かぬが勝ち、と言えるんじゃないか、行かぬが勝ち、と」
わたしには、何か、聞いていると、隠居は、老人医療費の倹約の、政府の宣伝でもの片棒担いでいるのではないか、と勘ぐりたくなるくらいである。
隠居の長広舌の後、お昼を頂き、小屋に帰ってみると、万年床の両端のじゅうたんの濡れていたあたりの下には、丸められた新聞紙が多数詰められていた。チアキさんがやってくれたのだろう。ふとんが全然濡れていないのが、せめてもの救いだった。それにしても、眠ったままの無意識の内で、布団をよごさず、しかも、壁にぶっ掛けるとは、まるで手品師の曲芸みたいなことが、それも、二人の男が揃って、よくもやれたものだ、と感心させられる。

四月になると、いよいよ桜の開花だ。人々の心は浮き立ち、落ち着きを失う。その動静は日々話題となり、感動を隠せない。
「今年も、見事、咲きそうですね」チアキさんが言っている。
ソメイヨシノの紅色の蕾がいっせいに、ほころび始め、一方、八重の方の花はそれより、ずっと遅くなるのだが、まず、初々しい黄緑色の、周りにぎざぎざの付いたハート型をした葉の方から芽吹き始める。八重桜の葉の、この陽に輝く色艶を眺めていると、新しい命の美しさみたいなものを感じる。
しかし、わたしにとっては、これらは厄介な作業の始まりの合図でもある。それと言うのも、秋の紅葉が始まる頃までは、少なくとも月一回は、毛虫退治の殺虫剤散布をやらねばならなくなる。大木とまではいかないが、共に、相当大きく成長している。俗に、桜、切るアホ、梅、切らぬアホ、と言われるけれど、いくら桜でも、ある程度で、少しチェンソウ入れなければ、殺虫が出来なくなり、どの道、木全体が毛虫に食われてしまって、枯れ果ててしまうことだろう。
わたしは散布の作業が非常に嫌いだ。まず、辛いけれど、暗がり起きしてやらなければならない。夜明け頃は、比較的に風が弱いのと、皆がまだ寝静まっているから、散布に好都合なのだ。希釈した殺虫剤溶液をタンクに入れ、タンクからノズルを通して噴霧を六、七メートルは下らない桜の天辺からぶっ掛けて行かなければいけないのだから、鯉の池にも、薬剤が入らないように、前もって、シートを張って置かなければならない。あれこれの手間のことを考えれば、馬鹿ででもなければ、ちょっとやそっとでは、やれない作業である。隠居はじきに、庭師に頼めば、というけれど、そこいらの俄か庭師の配慮程度では、庭全体の長期の美は安全に保たれないと、わたしには思われる。第一、庭師は、暗がり起きまでは、してくれないだろう。
何もしないで捨てておけば、毛虫の害は、桜を葉っぱ無しの坊主にしてしまう。余勢を駆れば、脇の金木犀まで侵略し、丸坊主にしてしまう。しかし、一年捨てておけば、桜は完全に回復するらしい。寿命が幾分縮むのかどうか、それは分からない。葉っぱ皆無では、ほぼ、光合成皆無なのだから、木にいいはずはない。それにしても、毛虫の害の最大の損失は美の破損である。美しい若葉が食われていくのである。もはや蝕まれた穴は二度と埋め合わせることはできない。それは醜である。すべてが美を競い合う盛りの季節に、醜を晒すのは御免だ。
毛虫は執拗である。幾種類もの毛虫が、後から後から湧いて来る。イラガみたいに触れると刺され非常に痛いものもいる。うっかり木の下を歩いていて、襟首の辺りにでも落ちくれて来られたら堪ったものでない。『虫愛(め)ずる姫君』なら、どうなのかは、いざ知らず。
毛虫は目で見つけようとしても、なかなか分からない。地面の糞で調べるのが最もよい。小さな糞でも、水を引っ掛ければ、ふやけて膨張するので、よく分かる。雨上がりには、もし毛虫がいれば、ふやけた糞が目立つので、一番よく分かる。
八重桜の花は、遅く、四月も末近くに、盛りに達する。青空を背に、紅色の濃艶な花と葉が乱れ群がり、力強く盛り上がりそそり立つ。それは、一瞬、ハッブル宇宙望遠鏡の捉えたイーグル・ネビュラの画像の破格の力強さを彷彿させる、とお嬢さんは、以前、いつか言っていた。
ツツジは五月初めに盛りを迎えるものが多いが、キリシマツツジはずっと早い。四月の末頃満開になる。以前は地植えの大きいものだったが、隠居は色も、樹形も好まず、切って捨てるように云われた。わたしは、記念に新芽を二、三本だけ挿し、今ではそれらが大きく育ち、二鉢だけ残している。キリシマは、木一杯花だらけになる。燃えるような赤である。隠居は、この赤を、赤黒い、と形容して、好まない。そのくせ、キリシマからの改良種に違いないのだが、〈花好み〉とか云うかなりいい加減な名前の、夜店かどこかで買ってきたものは、隠居の好みに合っているらしい。まず枝振りが、キリシマよりは、ずっとすっきりしている。花色もややピンクがかかり、確かに、美しい。そして、満開に近づくにしたがって、青み掛かって、透き通るように変化する。確かに、それは秀逸である。しかし、キリシマのどぎつい赤にも、わたしは駄目押しの力みたいなものを感じて、決して嫌いにはなれない。
五月になると、ツツジは、地植え鉢植えすべてが花盛りとなる。道路とフェンスの間は土手になっているのだが、そこには大輪のヒラドツツジが懸崖のようになって咲き乱れる。白、ピンク、壷がピンクの白とか。。。鉢植えでは、ピンク、紫紅のオオムラサキが美しい。しかし、殆どは名も知らぬ鉢々である。紅色、朱色、淡紅色、紅紫色、これらが明けたばかりの朝の光に輝くのを見れば、一瞬、この世の極楽を見たような錯覚に襲われる。花自体としては、木も、花も、ツツジよりはサツキの方がずっと上だと思えるが、ツツジはサツキより先に現れるということ、それと一年で一番いい季節に咲き誇る、この点では、ツツジの魅力も、なかなか大したものだと思われる。
五月に入ると、シランも咲き始める。隠居の家に先祖伝来のものを、田舎の本家から株分けして移したものらしい。真偽の程は定かでないが、珍しいものだ、と隠居は云っている。葉の周囲が白く縁取りされているのである。花色は実に美しい。紫紅色というのだろうか、色調に、華やかさと同時に奥ゆかしさがある。これは庭のあちこちに群生している。日当りのいいところは五月初めから咲き始め、あまり日当りのよくない半日陰の所では、五月下旬から咲き始める。芋(偽球茎)で、非常に繁殖力旺盛である。花弁はラン特有の複雑さで、いくら見つめても、見飽きるということを知らない。
スイレンは主として六月になって全面的に咲き始め、夏を通して咲き続けるのだが、赤は五月の二十日頃にもう咲き始める。小さな蕾が水中の茎のところに見え始めると、チアキさんが、早速、隠居に伝える。蕾は徐々に大きくなり、同時に段々水面へと近づいてくる。毎朝々々、育ち具合が、話題となる。赤、白、黄、ピンク、それに、姫睡蓮、それぞれの初咲きは特に愛でられる。

わたしの借りているプレハブの小屋は十二畳程で、半畳ほどの水洗トイレと半畳ほどの洗面が付いている。屋根はかなり大波の分厚い鉄板波板で、わたしは、外側からそこへ階段を付け、屋上に登れるようにしている。勿論、すべての作業同様、隠居の許可と資金を得てからのことではあるが。それというのも、サツキの鉢数がやけに増えたのと、見栄えのしない針金巻きの苗木とか花の終わったものとかを置く、要するに、二軍選手のファームみたいな所が是非必要なのである。水遣りが絶えないので、鉄板波板の屋根の腐食を恐れ、最初、隠居は渋っていたが、毎年二回ペンキを塗り替える、という条件を出すと折れ合った。したがって、屋上の床の板張りは、釘を打ちつけずに適宜とりはずして鉄板屋根にペンキが塗れるように、差込式にした。これらの鉢々は、最初は庭の隅の辺りのあまり目立たないところに棚を作って管理していたのだが、隠居が錦鯉の池を所望しはじめてから、仕方なく出てきた苦肉の策だった。池もある程度広く深く水量が豊かでないと水温変化が激しくなり、鯉の健康によくないことだろうとの配慮から、多くの入江と所々かなりな深みも造った。そんなわけで、サツキはある意味では追われたのである。しかし、結果的には、サツキ自体も隠居のお気に入りの鉢は挿し木をして増やすことが可能となり、庭の彩りは格段に以前よりも増したと思う。

お嬢さんが、真夜中過ぎに、プレハブ小屋のドアを、いつものように、コン、コン、コンと三区切りノックしたのは、五月の五日頃のことだったに違いない。わたしは、毎日、この時刻にはアフィリのバイトをしている。昼間よりもネットがサクサク動くので、真夜中過ぎから夜明け前のこの時間帯を好んでいる。非常に多くのバナーを、手当たり次第に、その美しさを吟味して行くのが、わたしの仕事である。ペイはいくらにもならないが、美しい形、美しい色彩の輝きに出会った時には、魅惑みたいなものを感じ、いまだに止められずにバイトを続けている。ファッション、ジュエリイ、旅行関係、とか、外資系の会社のバナーには特に美しいものが多い。毎日、例外は除いて、土日祝祭日も休まずに、一日二、三時間は、このために費やしているだろう。
「庭から、いま、ちょっと空を見てみたけれど、残念」とお嬢さんは言っている。「薄雲が出ているわよ…春がすみなのかしら?」
「そうでしょうね」わたしは言う。「カセグレンはだめかも」
「カセグレンは、全然、駄目よ。双眼鏡も、無理かも」双眼鏡といっても、お嬢さんのは馬鹿でかく口径80ミリ、重量2キロ以上もある大型のものである。勿論、架台なしでは使えない。
「そうですね。雲が出ると、設定がね…」
お嬢さんは、口径30センチ、三脚架台込みの、50キロ程のシュミット・カセグレンも持っている。これなら、春の星雲(髪の毛座の黒目銀河とか乙女座のソンブレロ銀河とか)もそこそこ観望を楽しめるかもしれない。しかし、それには、宵からテントでも張って準備をして置かなければ…それに雲で、北極星が、もし、見えなければ、赤道儀の設定自体どうにもならない。
「眼視、眼視…いや、一切手ぶらの…肉眼視でいこうか」とうとう、お嬢さんは決断したみたいに、笑いながら言っている。「アルコールも用意したことだし…」バッグにシェリーとモーゼルの白があるらしい。「アルフォンソのオロロソよ」お嬢さんは言っている。わたしには何のことだか分からない。要するに、シェリーのうちでも度数が幾分高いものらしい。「ビールはラブホにも置いてあることだし…ビール、ワイン、シェリーの順番に行きましょうよ…二、三日掛けて、ねちねち、心底(しんそこ)酔い痴れるようにね」お嬢さんは、笑っている。なんと美しく魅惑的なほほ笑みなんだろう。わたしは、つくづく、幸せを感じる。この一瞬のためになら、一生、棒に振っても仕方ないだろう、とさえ、思われる時がある。『オロロソが強いと云っても、ラム、ウオッカ、ジン、には、てんで敵うまい。泡盛にだって、敵うまい。しかし、醸造酒には、蒸留酒とはまた違った、捨てがたい、濃厚な独自のコクと香りと旨味というものがあるからな。…ま、めずらしいサケに出会えるということは、人生、喜びの一つだ』
つまり、星は二の次で、要は、飲んで、うまいもの出前取って、二、三日たっぷり楽しもう、ということらしい。
わたしはワインの入っているお嬢さんのバッグを受け取った。そして、いつものように、財布も預けられた。薄い黄色の柔らかい上質の皮でできた二つ折りのなじみのある財布である。お嬢さんは、わたしと逢う時はいつも非常にシンプルな身なりをするので、持ち物無しの、素軽さを一番としているのだろう、と思われる。大抵はミニスカ(フレア)にTシャツで、下着などは着けたためしがない。だから、その、気位の高い、両の乳房のうごめきなどは、耐え難い魅惑の感触の記憶を、不思議に、まず、わたしの手の平に、どぎつく、まざまざと、甦えらせてくれて、堪ったものでない。
心地よい、春の真夜中、クルマは真っ暗闇の湖周道路を突っ走る。プレハブを出た頃に、すでに午前二時を回っていただろう。絵本のシンデレラのお城みたいに、湖岸にポツンと建った、いつものラブホに行くまでに、「ちょっとだけ星見よう」とお嬢さんは言っている。湖周道路のこのあたりでは、パーキング・エリア皆無なので、クルマを停めることはむずかしい。しかし、一箇所だけY川の河口付近に一、二台分スペースがあることを知っていた。そこは、あたり一帯明かりがなく、いつも、星を見に来る場所であり、また、野鯉釣りに来るところでもあった。湖岸に広大な荒れた平地が開けている。しかし、近くに駐車可能な場所が全然ないので、昼間でも人気は滅多にない。何か湖周開発のプランでもが途中で投げ出され、放棄された広大な草原だけが残された、といった感がする。
クルマを下りると、すぐにコンクリート造りの巨大な水門の建物があり、その脇の急なコンクリ-トの階段を下りていく。月齢は、いま、ほとんど0に近づいており、あたりは暗闇だ。わたしは、左腕にバッグを抱え、右腕を、お嬢さんを支えるために、差しのべた。お嬢さんは、しっかりと、その手を握った。
足音を聞きつけたのか、湖面の水辺の方から、水鳥の鳴き声が一つした。シギのたぐいに違いない。空気は、いま、暖か過ぎるくらいだったが、そよ風が、湖面の方から吹き寄せて、肌になんとも心地よく感じられる。お嬢さんは、待ちきれない様子で、草原まで下り切ると、身をすり寄せてキスを求めた。わたしはお嬢さんの身を抱きしめて、心を込めてキスした。そして、お嬢さんのキスは、もう喉全体がとろけて無くなっているのかと思われるほど、べっちょり、としていて、熱く甘く柔らかく、心地よく感じられた。
「思ったより、もっと悪いわね」お嬢さんは空を見仰ぎながら言っている。「カセグレンなんか、当てにしていたら、地獄ね」
「北は全然駄目です」
「これでは、どうにも、ならない。真上、あれ、ベガでしょう」
「もうこの時刻になれば、真夏なのですね、星座は」
「でも、デネブもアルタイルも見えない、雲だらけ。あの西の空のが、土星ね。土星は、乙女座に居るはずだから、…あの青白いのが、スピカかしら。…ほかは何も見えない…アルクトゥールスも、獅子のデネボラも…」
北斗七星も見えなければ、獅子座も見えない。獅子ははもう西に沈みかけてでもいるのかも。
「そよ風が、素敵。やはり、来てよかった」
「そうですね。春宵値千金、だけれど、春の湖岸の丑三つ時なんて、値万金(ばんきん)でしょうね、きっと」
お嬢さんは、その時、わたしの前にひざまずき、わたしのジーンの幅広の黒皮のベルトに手を掛けた。もったいないことだと思い、お嬢さんを立ち上がらせようとしたが、お嬢さんには、怯(ひる)む気配は、全然ない。乱暴に、ベルトを解き、ジーンとトランクスをいっしょくたに引きずり下ろしてしまった。
わたしは仕方なく、ひざまずいた。
お嬢さんは、敷物も無い草原に、仰向けに横たわった。そして手を伸ばし、わたしの髪の毛をつかむと引き寄せてキスを求めた。
しかし、すぐに私の裸の胸を両手のひらで押し上げ、掴み、乳首のあたりをさすり、今度はわたしの腰に両手のひらを当て、ゆるくそして、時にきつく、わたしの腰のリズムをリードし始めた。
お嬢さんは、ああああ、とか、ああ、とか、あっ、とか、あああ、あっ、あああ、あっ、とか、ときに鈍く、時に鋭く、可愛く、あえぎ、そして、激しく、叫んだ。
湖周道路を、いま、一台のクルマが突き貫け、走り去って行く。派手な爆音をしている。スポーツ・タイプかも知れない。
お嬢さんは、いま、両の膝を、折り曲げてしまい、開けるだけ開いた大股を天に向け、ああ、ふうんふうん、ああ、あっ、と絶え入るような声をあげてあえぎながら、両手で、わたしの腰のリズムを、望み通りに、リードする。しかし、そのうちに、わたしの項に、また、両手を当て、引き寄せ、口づけを求める。乳房を自分の両の手で握り締め、ウウ、と叫び、そして、きっと小さな峯を一つ超えたのだろう。
水際からは、野鯉たちの気狂いの水音が聞こえて来る。今は、乗っ込み(のっこみ)の時期なのだ。野鯉の群れが水際の葦むらに寄って来ているのだろう。水音は、非常に激しく、気狂わしく、扇情的にさえ感じられる。
夜が明けようとしている。あたりは完全に白んできた。
お嬢さんは、今度は、折り曲げられた膝に自分の両手を当てて大股を開き、わたしの腰のリズムを楽しむ。しかし、そうかと思っていると、そのうち、わたしの後ろ髪に、また、手のひらを伸ばし、髪をゆるくつかみ引き寄せ、両足をわたしの腰にゆるく掛け、口づけを求める。そのうち、わたしの首やあごを撫でさすり、突き放し、わたしの腰に手をやり、一瞬はげしくリズムをとり、二つ目の峯も越すのだろう。
長い草が、いつの間にか二人の裸の胸の間に入ってきて、邪魔をする。わたしは身を支えている腕の片方の手のひらで草を払いのけようとするが、草はなかなか言うことを聞かない。
夜は、なおも白んで行き、山の端は青みを帯び、やがてピンクに染まることだろう。
お嬢さんは、なおも、時に、ああっ、と叫び、時に、うううん、と唸り、最後の峯に向かおうとしているみたい。わたしも、お嬢さんに合わせようと思うと、おおおっ、と思わず叫び声が独りでに込み上がってくる。野鯉たちも、やっと訪れてきた夜明けに、水際の気狂いも最高潮になってきている。雌の産卵に雄共が精子をぶっ掛けるのだ。お嬢さんは最後の峯を、わたしの胸の肉を容赦なく歯で噛み締めることで終わろうとしている。それでも、わたしの腰を両腕で抱きしめたまま、わたしを離そうとはしない。お嬢さんの身がわたしの身に、ピクピクと感じられる。
「金星、ヴィーナス、明けの明星かしら…」安らかに、横たわったまま、首をねじり、東の空を見仰ぎながら、お嬢さんは言っている。ほほえみは喜びで輝いている。
「そうです。美しい夜明けです」とわたしは言う。
山の端は透き通るように、いま、青く輝き、そこに金星が光っている。

「早くラブホ行って、お風呂につかって、冷えたビール一緒に飲も」お嬢さんは、いま、笑い、はしゃいでいる。幸せそうな、美しいお嬢さんを眺めていると、わたしもまた、幸せを感じる。
クルマのところまで来ると、どうしてバッグなど、草っ原まで持って行ったのよォ、と云ってお嬢さんは盛んに笑っている。
わたしは、お嬢さんが持ってって、と云ったから持って行ったような気がするが、しかと自信があるわけではない。無意識のうちに持って行ったのかもしれない。
「冷えても居ないし、コルクの栓抜きのスクリューも持っていない。グラスもなければ…」お嬢さんは、なおも、笑い止まない。
「瓶の首を、石に、ガツンとぶっつけて割って、豪快に、上空から、口に浴びせ込む」
「そしたら、白ワイン、口移しにあたしは飲ませてもらえるのね」
そこでまた、お嬢さんは、口づけを求める。
「そう言えば、シェリーの方は栓抜き不要のようだった気がする。上等のコルク栓だけれど、指でねじってね、ポーンと、抜けれるはずだったような気がする…シールは勿論してあっただろうけれど」
お嬢さんは、笑い止み、やっとここで、クルマにキイを突っ込んだ。運転は達者である。ローで動き出したと思ったら、激しく踏み込み、スコン、ともう、トップにギヤは入っている。爽快に小気味よく、ダークグリーンロードスターは、夜明けの冷気の湖周道路を、延び良く軽やかに、突っ走る。

六月に入るともう来る日も来る日も梅雨気味である。温暖化のせいなのか。季節というものが狂い始めているのだろうか。陽光の下でサツキを楽しめないのは、悲しい。花の艶やかな色合いは、太陽の光を浴びてこそなのだ。
隠居はいくら小さくても虫というものが徹底的に嫌いなので、サツキを室内に持ち込むということは決して許さない。いくら用心しても、コケや鹿沼土の間に隠れている小昆虫はどうにもならないからである。隠居は蚊も大嫌いだ。一匹でも飛んでいると、チアキさんのせいにされる。チアキさんは堪ったものでない。
一年かけて育てた花を、むざむざと雨に打たすのは心苦しいけれど、それもまた自然と思えば、この世の虚しさみたいなものを覚え、一瞬心の高まりからか、ある種の情趣すらが感じられる。しかしやはり、陽光と花色の輝きこそが、花の盛りには最高なのだ。
わたしは単色ものも嫌いではない。金采。けらま。紅傘。石山。鹿山。といったところである。咲き分けもいい。隠居の好みは白地に、紅、紫、橙などが絞りで入ったものが、一番のお気に入りみたいだ。神撰。古城の月。綾錦。このあたりは、鉢数を増やすよう求められる。もっと嵩じたときなどは、あれとあれの交配はどうだろう、とか言い出して、暗にわたしに交配を促す時がある。大方、白無地ものに紅、赤、紫、橙、の交配である。隠居は、咲き分けものも好む。明日香。好月。暁天。春翠。といったところか。庭では一番の早咲きの、紫地に壷白の、名前の分からないものがあるが、これも隠居は異常に好む。隠居がまだ若かったとき繁華街の夜店で買ってきたサツキの最初の苗木らしい。隠居のことだから、裏に何か、想い出話でもが秘められているのかもしれない。チアキさんだとて、ただのお手伝いさんとは、わたしには信じられない。あまりに、人間が出来過ぎている。若い頃はなにか経理の専門職をやっていたという。もしかすれば、隠居の役所の部下だったのではなかろうか。
錦鯉も、隠居は、昭和三色、とか、五色(ごしき)とか、マンダラものが好みみたいだ。錦鯉に浅黄色はあるのだが、隠居は、緑が欲しいと、無いものねだりをする。「ジロさん、わしは、赤、白、緑のマンダラこそが、最高みたいな気がするんじゃが」いくら気がして所望しても、カタログで見たこともないのだから、どうにも仕方がない。庭石も隠居は緑色掛かったものが大好きである。深成岩系に違いない。錦鯉も、遺伝子組み換えでもやれば、緑色も出来なくもないだろうけれど、気分的には、わたしは自然が一番だ、と思っている。人為的に神経くさくないところが、のんびりしていて、いいと思う。新潟の、山あいの、寂寥とした山池で育った鯉のことなどを思えば、自ずと趣も深く湧いて来るというものではなかろうか。
うっとうしい梅雨最中に、寺高がひょくっとやってきた。茶色の一升瓶を二本さげている。泡盛のブラウンだ、と寺高は自信たっぷりに、自慢そうに言っている。泡盛の人気商品らしい。泡盛と聞くと、わたしは琉球とか、台湾とか、タイとか、インディカ米とか…なにかエキゾティックなものを感じる。「なに、石垣とか久米島とか、あのあたりのものじゃないか」誰かが寺高の会社に置いていたものを黙って頂戴してきたみたいだ。普段、お世話になっている先生方への、贈答用の品かもしれない。「後で苦情が出るかも」寺高はのんきな事を言っている。二本とも、瓶はよく似ているがラベルは違う。寺高は、飲み比べをやろうと、言っている。いつものようにビールでわって飲むらしい。わたしはボロ焼酎のビール割りでチアキさんに迷惑を掛けたことを思い出したので、そのことを言ってみたが、寺高は、全然、意に介していない。仕方ないので、わたしも、最初は、ゆっくり、じわじわ、お付き合いを始めた。確かに酔いはなかなかのもので、悪いものでは決してなさそうだ。
寺高の用件というのは、わたしの結婚話みたいだ。寺高の奥さんの発案らしい。
「おまえ、いまどき、専業主夫、だって在り得るんじゃないか。専業主婦、という言葉があるのだからな。なにも、対概念で考えりゃいいんだ、対概念で」寺高が何を言いたいのかあまり、はっきりとは分からない。たしかに、昔、ドイツの心理学の授業か何かでそう言った言葉を耳にしたか、しなかったか…「なに、奥さんに養ってもらったらいいのだ。お前は料理でも習ってさ。おまえ器用なんだから、大丈夫やれるよ。糠漬けも、まだ、続けてやっているのだろう、糠漬けも、隠居のところで」たしかに糠漬けはやっている。しかし、隠居のためにやっているのではなく、最初はお嬢さんのために、内心、わたしは始めたのである。しかし、お嬢さんは滅多に居ないからといって、すぐに止めるわけにもいかず、結局、隠居とチアキさんと自分で毎日食べることになっている。冬場に一、二度、減塩をやり過ぎて、糠床の調子を落したことはあるが、床を決定的に駄目にしたことは、まだ一度もない。ナスの色出しも、焼ミョーバンとか薬品類は一切使いたくないので、最初これには相当てこずったけれど、できるだけ少ない塩と南部鉄の溶けた鉄イオンのおかげだけで、最近では、美しい紫青色を、四季を通じて、バッチシ定着できるようになった。
「ま、糠漬けと野鯉の洗いくらいはできるけれど…」
「それだけできれば、大したもんだよ。立派なもんだ…専業主夫なんだからな、言うたって…最初としてはだよ」
鯉の洗いもお嬢さんが大変好きで、喜んでくれるので、お嬢さんが里帰りしているときには、わたしは、ほとんど毎日釣りに行き、できるだけ短時間で、その日に食べる分だけ釣れると、すぐ戻って来て、料ったものである。野鯉でも大きすぎると味が幾分落ちる。味の最高は、四、五十センチ、三キロ前後のものだろうか。六十センチ、四キロ以上となれば、もう幾分味が落ちるように思われる。放流鯉の味は、野鯉には、まったく敵わない。養殖鯉などは、野鯉に比べると、てんで話にならない。餌と運動の違いのせいだろう。
野鯉の洗いは、実に、美味である。カラシ酢味噌で毎日食べても決して飽きるということを知らない。お嬢さんが、おいしかった、と云って、喜ぶ笑顔が見られると、わたしは、この上もなく、幸せを感じたものである。お嬢さんの、容姿の美しさ故に、でもあるのだろうけれど。
「で、一度、会って見ないか…なに、二人きりで、お茶でも飲んで、その場でプロポーズしてもいいんだし…気に入ったら、後で、うなぎでも食って…。女房が滅法乗り気なんだよ、この話には。女房も、少々おまえに気があるんじゃないか、女房自身。女は、一体に、不思議に、自分の気に入ってる男に、自らその男の女を世話したがるもののように思はれる、どうもそんな傾向があるようだ。…ミッションスクールの高校部の英語の先生らしいがね、その女房の友達というのは。だから、結婚さえすれば、おまえ一生飯を食うのには困らないわけだ。それに、おまえ、数学好きだし、調和もいいんじゃないか、調和も。相手は英語専門なんだから。いい子供、生まれるぜ…実際」
飯を食うために、結婚もできないだろうし、子供を生むためにも、結婚できるわけでもない。わたしには、全然、興味がない。
「相当な、美人だ、その先生。それとも、おまえ誰か、好きな人でもいるのか、おれに隠して。…ま、いるはずないだろうけれど、な」

サツキの植え替え、針金掛け、その年に必要な、全鉢の四分の一ほどの面倒見が終わったのは、すでに七月も初めの頃のことだった。睡蓮は本格的に咲き続けていた。三月の植え替えの効果あって、今年は順調にいっている。
お嬢さんから、長いメールが来たのは、そんな折のことだった。

ごめんなさいね。五月に会ったとき、すでに分かっていたのだけれど、なぜかあなたには言えませんでした。わたしは、いま、ニューヨークに来ています。夫が支局長として、転勤したからです。ニューヨークは東京同様、あたし大嫌いだから、夫についてこちらに来るか、離婚して里に帰るか、少し迷ったのだけれど、結局、こちらに来ることに、決断してしまったの。悩ましい理由があったからです。第一、あたしはお金の掛かる女ですものね。仕方ないのです。そういう女なんだから。あなたとの生活は、思ってみただけでも、金輪際、無理でしょう。だのに一番いっしょに居たいひとは、あなたなのですからね。実際、あたしは引き裂かれてしまった女みたい。第二に、わたしは妊娠しています。あなたには言わなかったけれど、前にも一度手術したことがあったのです。日にちからして間違いなく、両方ともあなたの子です。しかし、今度は産もうと思っています。それでこちらへ来たのです。そちらでよりも、こちらでの方が、自然で、目立たなくて、産みやすいと思われたからです。もし生まれてくる子が男の子だったら、一郎、と名づけるつもりです。
そして、今後とも、あたしたちは逢いましょうね、折をみては。年に一度くらい、ヴェガとアルタイルみたいに、逢うのです。一生、死ぬまで、逢うのです。あたしたち、逢う度が、新婚旅行なの。
しかしそれには、今のままではいけません。あなたは結婚なさい。幼くてやさしい、いい奥さんと結婚するのです。この実行あってのみ、あたしたちの、たまさかの逢瀬も実現可能となるのです。あたしは恋に関してはリアリストなのです。直感があるのです。あたしたちの恋は、それ以外の形では、実存不可能となるのです。
あたしはあなたの子供を産み育てます。だから、あなたは、素敵な結婚をするのです。ただし、あたしの都合がつくときにはいつでも、一生死ぬまで逢って下さるのです。
夫とは、ずうううっと、交わっておりません。愛人がいるのか、それとも、仕事が忙し過ぎて消耗し切っているのか、それとも、なにか病にでも侵されているのか。わたしには分かりません。それは、しかし、夫の自由の問題です。あたしは一切詮索はしません。そして、その分あたしは、湖畔のそよ風のように、大空に羽ばたく海鷲のように、人生、自由に楽しみたいのです。
また、いつか逢おうよね。
きっと、きっと、逢おうよね。

お嬢さんは、メールで悩ましい、と云っているけれど、わたしの方も、メールなどもらうと、いらいらして腹立たしく感じる。お嬢さんと逢うのは、昔も今も、好きだ。しかし、お嬢さんについて考えるのは、今も昔も、いらつく。いくら考えても、どのみち、おそらくは、解、不能、なのだろうから。一方、それとは裏腹に、隠居との、朝からハバナ・クラブのラム、ストリチナヤのウオッカボンベイ・サファイアのジンなどを頂きながらの打碁、ここにこそ人生真の楽しみが…と思われる。それに、わたしが面倒をみる、錦鯉たち、そして、春の花々、…睡蓮、桜、躑躅紫蘭、皐…これらの花々の美と共に過ごす時間には、なんの苛立ちもなく、ただただ、その美しさに満足を覚える。
しかし、お嬢さんの永遠の幸運を、日々、祈ることは間違ってはいないだろう。
なぜなら、本当には、祈りだけが、苛立たしさを、忘れさせてくれるみたいだからだ。
勿論、お嬢さんとのことを、後悔などちっともしていない。
恋というものが、間々、そうであるように、それは、どうにもならなかったことだと思える。全然、不倫などとは思っていない。なぜって、恋は、本来、盲目であり、また、この世の至上のものなのだから、一切が、仕方のないことだと思われる。

年が変わってひと月もたった頃だったろうか、打碁の前に、隠居が妙なことを口にした。
「悪い酒というものは、まず、目と頭に来るようじゃね…視力が極端に落ちてくる、次に頭が動かなくなる…その点、うまい酒っちゅうのは、いくら飲んでも嫌気がささない。じゃから、いい酒、というのは、いくらでも飲み続けられる酒のことじゃね…ラムとかウォッカの中にはそういったものがあるように思われる。…醸造酒は口には旨いが、酔い自体には限度がある。ある時点が来るとあまり飲む気がしなくなる。その点、ラムのそこそこの奴は、酔いの底が深いね。飽きがこない。じゃから、昔、多くの海賊共は、ラムと共に去りぬ、心臓発作で命を落したのじゃろうね。もっとも、ガンで死ぬよりは、まだましじゃろう、心臓発作の方が…いわゆる、ピンコロじゃからのう。
蒔けるだけ種をまき、蒔きまくり、しかる後、ラムを飲み、飲み続け、最後の最後まで飲みまくり、かってのカリブの海賊共同様、心臓発作で、ずぼっ、と逝く。これが本邦の期待される男性像じゃないか、期待される…
もっとも、ヨーロッパでは、芸術家たちが、こちらは、なにかアブサンで命を落しよったようじゃがのう、絵描きとか、詩人とかが…。
ところで、ジロさん、わしも、とうとうジジイになってしまったらしいわい。孫が生まれよったのじゃよ、ニューヨークの娘にな。…じゃがあの旦那の子ではな…いま一つ…。『めでたさも 中くらいなり…』と言ったところかな…実際。…一郎と名づけられたらしい、最初の男の子じゃからのう。ジロさんは、どうせ二番目の男の子じゃろ…二郎と言うからには…」
わたしの心は、またも、随分と、いらついて来た。隠居の手管にはまったのかも知れない。その碁は完敗を喫してしまった。

アフィリのバイトに珍しく手間取り、朝、寝過ごしていると、チアキさんに起こされた。ご隠居が、お待ちです、とのことである。
「来月には、もう、睡蓮植え替えの時期ですね」チアキさんは言っている。「春が、また、めぐってくるのですね」
そうです、その通りです、とわたしは寝ぼけ頭に薄っすらと思う。春が来て、花暦がまた始まって、花々は咲き狂い、野鯉たちは乗っ込みに気狂いし、そして、お嬢さんは、星空散歩に、また、わたしを誘ってくれるのだろうか、どうなのか。